【石垣島の廃墟?】電信屋跡(デンシンヤー)へ行く方法と写真スポットまとめ
今回は石垣島にある廃墟のような場所「電信屋跡(デンシンヤー)」のご案内です。
住所 | 〒907-0452 沖縄県石垣市崎枝 |
営業時間 | 24時間 |
駐車場 | あり |
費用 | ー |
Googleマップ | https://goo.gl/maps/biapEb54JmiryX6XA |
電信屋跡(デンシンヤー)とは?
沖縄や日本、台湾間の通信に利用された海底電線の中継地
通称「デンシンヤー」と呼ばれているこの施設跡は、 1897 (明治30)年に建てられたものです。
沖縄本島や日本本土、台湾間の通信に利用された海底電線の中継地として約半世紀にわたり、その役割を果たしてきた場所なんですよ。
1895年(明治28)年の日清戦争終結後、台湾が日本領となると、陸軍省は台湾の監視と植民地政策の推進を図るための軍事的目的に基づいて、 1896(明治29)年に臨時台湾電信建設部を
設立し、鹿児島から奄美大島、沖縄本島、石垣島を経て、台湾の基隆までを結ぶ海底電線を敷設した。その際、日本本土と台湾を結ぶ海底電線の重要な中継基地として、 1897 (明治30)年に海底電線陸揚室が建設された。
同時に、石垣市字大川12番地に八重山通信所が開設され、 石垣島と西表島を結ぶ支線の敷設も
行われた。開通した海底電線は、当初、陸軍省が管理していたが、 1898(明治31)年に逓信省に移管され、軍事通信の傍ら一般公衆用の通信にも供用された。
なお、太平洋戦争の際には連合国軍の攻撃目標となった。
碑文より
外壁に残る無数の弾痕がこれを示している。
敷地内には、建物のほか貯水用タンク、 石積、 井戸などが現存する。
洋式の建築技法が用いられた建物の内部は、試験室と休憩室の二つに仕切られている。
建物防護用の石積みは、海側に面し、また南東側と南西側に設けられている。
このように、海底電線は1897年に造られた通信施設であり、日清戦争後の台湾経営など近代日本の政策や軍事に関する
遺跡である。
また、 沖縄県が近代の通信情報網に組み込まれた社会情勢を示すとともに、八重山諸島における沖縄戦の痕跡を残すことにおいて重要な史跡である。
石垣島空港から車で約35分。
場所は石垣島西エリア「川平湾」を目指す方向です。
駐車スペースがあるので、直接目の前まで行くことが可能です。
電信屋跡へと続く道
のどかな沖縄の田舎道を歩いて行きます。
目の前に駐車スペースがあると思わなかったので、少し歩きました。
あと少しで到着
草の道を抜けると現れます。
ここで駐車スペースがあることに気づきました。
電信屋跡
中には入れないので注意
老朽化が進んでますので、柵より先には進めません。
数年前だったら柵もなくて中に入れたみみたいですね。
00:00 イントロ
00:26 川平湾の夜明け
01:49 白保海岸
03:09 白保集落
04:14 出雲大社先島本宮
05:01 津波大石ツナミウフイシ
05:43 フルスト原遺跡
07:26 多田浜海岸
09:12 石垣島フェリーターミナル
09:38 桃林寺
10:35 南の島の展望台
11:25 石垣宝来宝来神社
12:07 冨崎観音堂
12:48 唐人墓
13:36 琉球観音埼灯台
15:09 石垣やいま村
17:02 名蔵アンパル
17:39 電信屋跡
18:31 御神崎灯台
19:54 川平湾
21:35 川平湾を望むパーキング
22:18 底地ビーチ
23:30 仲間満慶山英極の墓
24:06 米原ビーチ
25:47 米原のヤエヤマヤシ群落
27:19 尖閣神社
28:08 吹通川マングローブ群落
30:16 玉取崎展望台
31:33 伊原間のハート岩
33:15 伊原間サビチ洞
35:54 平久保集落
37:28 石垣島サンセットビーチ
38:22 平久保埼灯台
39:47 明石集落
41:46 明石ビーチ
43:20 野底岳展望台
44:15 野底マーペー
45:10 のばれ岬 観光農園
46:00 エメラルドの海を見る展望台
46:57 新石垣空港
「電信屋跡」をはじめとした石垣島の絶景をまとめた動画です。
記事でも絶景をまとめてますので、合わせてご覧ください。