【ディープスポット】京都神田明神への行き方と見所まとめ|京都市下京区
hodaka
この記事では「京都神田明神」のご案内です。
京都神田明神は940年(天慶3年)。
平将門が藤原秀郷と平貞盛に討たれ、平安京に送られて首が晒されたという地にある社になります。
閑静な住宅街にポツンとありますよ。
目次
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住所 | 〒600-8471 京都府 京都市下京区新釜座町726 |
営業時間 | ー |
駐車場 | なし |
費用 | 無料 |
ウェブサイト | ー |
Googleマップ | https://goo.gl/maps/b6RdaAX6GJBHKDUk8 |
平将門公は桓武天皇五代の後裔で、東国において武士の先駆「兵(つわもの)」として名を馳せた人物です。
この地は天慶の乱に敗れた将門公の首級が京都に運ばれ晒されたと伝わる場所。
古来よりこの地に小祠が祀られておりましたが、このたび将門公を祀る東京の神田明神よりご祭神をお迎えいたしました。
皇居のほとり、千代田区大手町の「将門塚」は、京の都で晒された首級が胴体を求めて関東に飛び、力尽きて落ちた場所として今なお都心の霊所として、将門公の「強きを挫き、弱きを助くる」精神を慕い、参拝がたえません。
東京に鎮座する神田明神は、大己貴命・少彦名命とともに、平将門命を祀る神社です。
天平二年(七三〇)に大手町・将門塚周辺に創建され、その後、延慶二年(一三〇九)に将門公が合祀されました。
元和二年(一六一六)に江戸幕府により江戸城(現在の皇居)から見て表鬼門守護の地へ遷座しました。江戸幕府より「江戸総鎮守」の称号をいただき、徳川将軍をはじめ江戸の町人たちにより崇敬されてまいりました。
神田明神の大祭「神田祭」は天下され、江戸城内において徳川将軍が上覧しました。
明治七年(一八七四)には、明治天皇も親しくご参拝されました。
現在は「祇園祭」「天神祭」とともに日本三大祭の一つに数えられ、二年に一度、五月中旬に行われ、二百基に及ぶ神輿が賑やかに担がれております。
ちなみにこの土地・建物は、神田神社責任役員氏子総代・遠藤氏のご遺志を継ぎ、娘の平野徳子様により寄贈されたものです。
京街の風情残る「膏薬辻子」にある神社
京都神田明神
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